Y君はサンパウロに到着後、数日サンパウロで過ごし、ボランティア先であるピラール・ド・スールの日本語学校へ向かいました。日本語学校は同地区の日本人会が経営しています。Y君はそこで日本語教師のお手伝いするのが目的です。着いた当初は、冬休みで日本語学校が休みだったため、日本語学校に通う生徒の家にホームステイなどをして現地の人と交流を深めました。
1家庭3日ぐらいずつ泊まり歩いたそうです。ほとんどの家庭が農家なので、早朝に起床し、その家の人と農場を回り、家庭内では一世のお年寄りから移住当時の話を聞いたり、どっぷりと日系人移住者の中に漬かったといいます。
日本語学校の授業が始まると、Y君は補助教師としての生活を始めました。学校ではクラスの担当はなしです。宿泊は、学校横にある一戸建ての宿舎。朝から夕方まで日本語学校で働き、夜は地元の小学校に通ってポルトガル語を習得するという熱心さでした。
彼の場合、半年間の予定でしたが、滞在を2カ月延ばし、1月下旬に帰国するほど、熱心に活動しました。彼の人柄やまじめな生活ぶり、子供たちの指導ぶりが父兄たちに好評で、彼が帰国することが決まると、同地の日本人会の人がわざわざサンパウロのチャレンジ・ブラジル事務局まで足を運び、「希望者がいたら是非、後続の人を当地の日本語学校に送り出してください」と、要望されたほどです。