チャレンジブラジルに参加して

    
 私にとってこの1年は、まさに 「チャレンジ」でした。慣れない事だらけで、思ったようにうまく行かない事も多く、悔しい思いをした事もありましたが、自分を捨ててブラジルの生活にぶつかっていけた事は素晴らしい経験になりました。当初の目的は「美術館で働いてみたい」でしたが、それ以上の体験をすることができました。朝起きてシャワーをあび、ご飯を食べ、電車に乗る。それだけでも日本とずいぶん違い、生活のひとつひとつが「チャレンジ」でした。

私の一週間

私の毎日の活動範囲はMASP(サンパウロ市立美術館)があるAvenida Paurista(パウリスタ大通り)から公文やヨガ教室のあるブリガディロ(ブリガデイロ通り)でした。この付近は24時間営業のズーパー、おいしいパン屋さん、映画館などが揃っていて、とても便利なエリアです。
 毎日の日程を紹介しておきます。
 MASP・・・毎日、午後
 公文・・・週に2回(ポルトガル語の勉強)
 和太鼓の練習・・・毎週土曜日
 ヨガ・・・ブラジルへ来ておいしいものを食べ過ぎて太ってしまった ので、ストレス解消も兼ねて通いました。通っていたのは、メトロのブリガディロ駅の近くにある小さなヨガ教室です。ここでは週に1・ 2・3回、好きな時間を選んで学ぶことができます(料金は週に2 回で135レアル、1レアルは約55円))。落ち着いた雰囲気の一軒家のような教室で、サンパウロの騒がしい街、渋滞する車から逃れてリラックスするにはとても良い場所でした。ポルトガル語の勉強にもなります。
Prema、Yoga(プレマ・ヨガ)
http://www.premayoa.com.br/br/dancaindiana.aso 
            
住居

 私は鹿児島県人会の寮に数カ月住んでいました。その後は、アメリカ人、ブラジル人の友人と一緒にアパルタメント(アパート)を借りて共同生活をしました。アパルトメントの家賃は、私の負拍分は300レアルだったのですが、さらにガス代、電気代、税金、掃除代(部屋が広まったので、週に1回掃除をしてもらっていました)がかかり、月に500レアルはかかりました。アパルタメントは寮と違って快適で住みやすく、自分で生活費をコントロールしながら暮らすのは良い勉強になりました。光熱費の支払いをしたり、電話会社に問い合わせをしたり、普通に生活する事が新たなチャレンジでした。ただ、滞在期間が1年しかないのなら、県人会などに住んで生活費を抑え、浮いたお金で旅行をする方が良いかと思います。1年はあっという間でしたから。
           
反省点

 最大の反省点はポルトガル語を真面目に勉強しなかったことです。ブ ラシルへ来た当初数カ月はアリアンサという語学学校へ通っていました。アリアンサでは基本的なポルトガル語の文法を教えてくれるので、 ポルトガル語を初めて勉強しようという人には、とても役立つと思いま す。ただ、知識が増てもポルトガル語が許せるようにはなりません。大 切なのは授業より授業の後、どれくらいポ語を使えるかです。
 ブラシルへ来て半年ほど経った頃、引っ込み思案で全くポ語を話そう としない私を見かねたブラジル人の友人が公文へ誘ってくれました。友 人は日本語、私はポルトガル語を勉強しました。公文では先生の前でポ ルトガル語の簡単なテキストを声を出して読み、発音が間違っていれば先生がその場で正してくれました。家では、テキストの穴埋め問題など単語の練習をしました。テキストは子供が読むような物語が中心で、1回の授楽で完結する短いものが多かったのですが、テキストが変わっても何度も同じ単語が出てきました。公文の良い所は、暗記が出来るほど単語を繰り返し読ませ、声を出して言葉を覚えることだと思います。言葉を覚えると簡単な文章が作れるようになるので、実践的な講座でした。
 もともと人見知りをする性格なのに、ブラジル人とポルトガル語で会話するなんて絶対無理だと諦めていましたが、ある日バーでどうしてもポ語を話さなくてはいけない状況になり、恐る恐る話してみました。一度恥をかくと今まで張り詰めていたものが弾けたみたいで、なんだこれで良いんだ、とふっきれました。それ以来、私にとっては雑音だったポ語がだんだん聞き取れるようになり、簡単な会話ができるようになりました。MASPでスタッフと作業をする時も以前よりスムーズに進めることが出来ましたし、英語を話さない、スタッフと雑談をする事ができた時は嬉しかったです。流暢な日本語より下手なポ語でコミュニケーション、これがブラジル人との友情を深めます。    
            
日系人社会

 MASPの研修同様に興味深かったのがサンパウロの日系人社会です。私は友人に誘われて福岡県人会の青年部に参加したのが日系人社会を知るきっかけでした。
 県人会青年部の皆んなはとても仲が良く、週末になると一緒に山や海 へ行ったり、湖のある農場へ行ってシュラスコやピザを手作りしたりし ました。もっとも思い出深いのは和太鼓の練習です。8月から週に1回、青年部が集まって和太鼓の練習をする事になりました。初めは叩くだけが精一杯で、短い曲を覚えるのに数カ月もかかりました。11月になると、福岡県人会へ日本からお客様が見えるということで、青年部で太鼓を演奏することになりました。20名ほどが集まった県人会の小さな部屋での初舞台でしたが、私はとても緊張しました。
 1月には新年会で演奏する事になり、今回は大勢の前で3曲披露できました。初めは軽い気持ちで始めましたが、だんだんと上達するにつれて楽しくなっていき、帰国する直前まで太鼓の練習は続けました。
 日系人、特に一世や二世の方々の日本に対する愛情は日本人以上に強 く、日本からやってきたとの間には何か文化的なギャップを感じまし た。牛肉入りの雑煮、ソースが入っていない焼きそば、焼きそばみたい なスキヤキなど、ブラジルと日本をミックスしたような不思議な日本料 理をよく食べましたが、日系社会もそれらに似ている気がします。フラ シルと日本を足して、新しい社会を作り出したのが日系社会ではないで しょうか。
            
MASPでの研修

 初めてサンパウロ美術館のガラス張りのオフィスを訪れたとき、非常 に緊張したのを覚えています。スタッフの視点で見た美術館は観客とし て訪れる美術館とは違って見えました。私は美術館運の様々な面を見る のが目的だったので、1つの部署に留まらず、一つの仕事をやりおえたら次の部署に移動しなから1年を過ごしました。1年という短期間では大きな美術館のほんの一部しか体験できませんでしたが、それでも、充実した1年となりました。

1.Intercanbio(2004年4〜7月)
 まず、サンパウロ美術館の過去の資料を見る事からスタートしました。1990年から毎年続いている写真展の資料が整理されていないので整理して欲しいと言われました。手紙、写真、航空券、雑誌の切り抜きなど貴重な資料がファイルに大雑把にいれてあり、その膨大な量に驚きましたが、スタッフが必要になった時に分かりやすいものにしようと心がけながら作業をしました。海外の美術館と作品を貸し借りする際の手続き、展覧会の企画、アーティストの選考、開催までの過程を知る事ができ、また今まで知らなかったブラジルの現代写真家の作品を見る事ができました。気になる作品があればオフィスを出て展示室へすぐに作品を見に行けるのも嬉しかったです。

2.サンパウロビエンナーレとBibhoteca(10〜12月)
 MASPのスタッフの紹介で、8月から約1カ月間はサンパウロ・ビエンナーレという国際的な展覧会で案内役のボランティアをしていたためMASPには不在でした。約1カ月後、MASPへ戻りました。館内の図書館には和書が200冊ほどあったのですが、日本語が読めるスタッフがいなかったために本の分類が全く行われていませんでした。そこで、本のタイトル・内容をチェックし、分類しました。やってもやっても次々に本が出てきましたが、毎日マイペースで少しずつ続けました。スタッフが日本へ訪れたときに手に入れたと思われる何十年も前の展覧会のカタログもあり、興味深かったです。

3.Acervo (12月、2005年1〜3月)
 ここは学芸員たちが美術館の作品を管理したり、展覧会を計画したりする美術館の要ともいえる部署です。ここでは所蔵作品の企ての資料やスライドが管理されていて、必要に応じて作品の写真を撮って資料を作成しました。時々MASPが他の展覧会のために貸し出した作品を引き取りに行くためにスタッフにサンパウロだけでなく、リオの美術館へも連れて行って頂ました。リオに住みたい!と本気で思う程リオの街が好きになりました。作品が入っている額のネジ締め、展示会場の作品入れ替え、収蔵庫の掃除など、雑用から作品のリサーチまで、様々な事を吸収できました。
 特に、ペルーの古代のテキスタイル裂のリサーチはやりがいのあるものとなりました。まず作品の写真を撮り、プレコロンビアン美術に関する様々な資料を読み、ペルーの美術館の方に協力をして頂きリサーチを進めました。大学でテキスタイルアートを専攻したので、布地の素材、織り、染色には以前から興味がありましたが、それだげではなく長い時を経て現在まで残った特別な布の背景になる歴史や文化も学ぶ事ができ、素晴らしい経験になりました。

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